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スポーツ教室いう授業をこのたびとりました。この授業はその名の通り、体育の授業です。私は体育が好きだったし、最近太ったことでとったのですが、最初のスポーツがこれまた微妙な線をついているのです。
それはゴルフです。
あまり動かない上に、1つ買ってくれと言われたものがあります。それは、『手袋』。滑ってクラブが後ろの人に当たったら危ないから、と言う理由なのですが、ここ最近、特に4月は出費が激しいときにそんなもの買わせるな!!と思ってしまうわけですね。私の父はあまりゴルフをやらないので、ないかと実家に電話して聞いたら、「もう全然使ってないし、カビが生えとる思うけぇ、買いんさい。」と言われてしまいました。先生いわく、1000円くらいだそうです。
では、今から友人と小雨?の中チャリンコで行ってきます!!
以前、コメントに「歴史に関しての見解を聞きたい」というコメントがあったので、今日は真面目にその話をしてみたいと思います。あー、今までこんなに真面目なことをブログに書いてなかったので、いきなり浮いちゃうかもしれないけどあしからず。ああ、今までの話がくだらない…
前置きはこの辺でいいとして、「歴史に関しての見解」ですが古代を中心に書きたいと思います。歴史というものは大きく分けてまず2つあります。1つは文章として残る歴史。もう1つは物として残る歴史です。前者のほうを勉強するのは歴史学、後者のほうを勉強するのが考古学です。そして日本古代は、中国の歴史書を頼りに日本で出てくる物で歴史を見ます。日本のこの段階で、歴史書があるのは中国人が歴史を書き残すことが好きだったおかげでもあるのです。普通だったらありません。ここは中国に感謝してもいいところだと思います。ただ、歴史書というものは書いた時代にいいように前の時代を書いているものです。また、その時代の用語がいまだに判明していないものもあります。例えば、「生口」。一応今の見解では奴隷としていますが、奴隷ではないという見解もあります。(うろ覚えなのであやふやですが)また、日本のことなのであまり詳しくは書かれていません。なので、歴史書だけをそのまま信用するわけにはいきません。そこで考古学で発掘されたものと照らし合わせることが重要です。そこで代表的なのが、「漢奴倭国王」の金印です。これは、歴史書の方にも物としても存在するものです。ここでようやくその時代にこういうことが起こったと、はっきりと言えるわけです。もちろんどちらかが欠けてる場合もあります。歴史書だけしかない場合は、本当にあったものかどうか信憑性にかけることもあります。物だけの場合は、確かにそこで人々が暮らしてたかもしれませんが、どういう人がいたのかは分かりません。歴史というものはあやふやです。誰もその時代のものを今の人は見ていないからです。想像の部分も多々ありますが、物を細かく調べてどこと交易していたかを知ることもできます。土器や鏡などの制作年代や、土や鉱石、土器や鏡の柄の種類で知ることができます。なので歴史というものは、限りなくノンフィクションに近いフィクションだと私は思ってます。これは、いつの時代でも言える事だと思います。
話は少し変わるのですが、私が歴史好きになったのはある本をきっかけとして好きになりました。すごい本ではありません。人が見ればそんなもので、と思うかもしれません。しかしその当時私はすごくはまっていました。それは、私が中学校の時に週刊少年ジャンプで連載をしていた「邪馬台幻想記」です。作者は矢吹健太郎先生です。これは人気がなかったためかすぐ打ち切りにはなりましたが、私はいたく感動しました。今読み返せば、時代考察はめちゃくちゃではあるのですが、ヒロインを卑弥呼ではなく、マイナーな壱与(台与という説もある)を使い、その身の回りの世話を卑弥呼の時代の大夫だった難升米(ナシメ)を使っていました。また、国の名前もちゃんと現在あるとされているものを使っていました。知らない人は知りませんが、知ってる人は少しうれしくなるというものです。一応、作品中に地図が出てきましたが、はっきりとは書かれていませんが邪馬台国を九州説として捉えているようです。内容は、少年漫画にありがちな魔法(氣)を使って、伝説の聖地「高天の都」を目指すというものです。もちろんこれはフィクションですが、その当時魔法と思われていたものを使って国を治めていく(例えば鏡の光の屈折を利用するなど)という意味ではノンフィクションかもしれません。つまり、その頃の時代というものはそういう時代だということです。つい最近読んだ本は、「古鏡」で著者は小林行雄先生です。この本は銅鏡についてなのですが、とても勉強になりました。そして何より分かりやすい文章なので私でも読めました。読んでみたい方にはお勧めです。
歴史についての見解はこれでよろしいですか?つたない文章ですみません。
レポートが私は今回3つあります。1つは文化財特講のレポートで内容は京都のこと(自由)で2000字という内容です。2つ目は文化財特講と同じ先生で考古学特講のレポートです。これの内容は考古学のこと(自由)で2000字です。正直この2つは自由といわれても結構困るものだったりします。まあ、最終的には授業でやったことを書くのですが。そして最後のが一番ネックです。それは、修復・史跡整備特講のレポートで、作品の観察記録です。これはどこの博物館のものでもいいから、スケッチをし調べて提出だそうです。しかも1200字から2000字までと幅広く、どうやって書こうか悩んでしまいます。
今日はその作品を見に京博へ行ってきたのですが、春の特別展示をしていた高山寺の狛犬に一目惚れをしてしまい、資料がありそうでなさそうな狛犬をスケッチして帰りました。自分で首絞めてるのは分かるんですが、あの狛犬のかわいさは忘れられません!!見たときに胸がどきどきしましたもん!!スケッチではそのかわいさが一つも出てませんがね…自分の画力のなさに涙も出てこないほどです。京博に見学に来てた皆さんは私のダメなスケッチを横目でちらりと見ながら通り過ぎていきました。「この子はえらい下手やなぁ。」きっとこんなことを思ってたに違いありません。ホントは隠したかったのですが不可能でした。隠してたらスケッチできませんからね。ああ、そういえば気になったカップルがいました。狛犬の説明を見て、高山寺を『たかやまでら』と読んでいました。つっ込みたかったんですがあえてつっ込みませんでした。皆さん、これは『こうざんじ』と読むんですよ〜。
さ、レポートがんばろ…
5日に二十歳の誕生日を向かえ、今日二十歳になって初の飲み会です。楽しみでたまりません。それ以上に悩ましいことがあります。それはゼミ決めです。
今日ゼミ決めについての講習会がお昼にあったのですが、ますますどこに行っていいのか分かりません。しかも提出は明日の夕方までです。ふざけないでください。土日くらいはさんでくれたっていいじゃないですか。ホントそう思いました。先生に相談しに行こうと思ったら、先生は今日の午後は全部授業。明日は授業は無いのですが、私が授業が詰まってます(涙)しょうがないので1時間くらい授業はさぼるつもりです。まあ、たいした授業じゃないからいいんですけどね。
考古学を専攻しようと思うのですが、先生が2人いるのです。私は縄文や弥生時代の鏡や土器についてやりたいのですが、できれば発掘をしたいのです。先生の1人がキトラ古墳にも関わっていて、奈良時代から遡る時代が専門なんです。しかし忙しいのであまり面倒見はよくないそうです。もう1人の先生は、平安時代から江戸時代までが専門ですが、発掘現場を紹介してくれたりと面倒見がいい先生です。ただ、資格取ることに集中するのは嫌う先生なので、教職をとっている私にはちょっとつらいのです。まあ、どっちも頑張ればいいだけの話なんですけどね。
こんなもんなので、ホント悩んでしまいます。私はどうしたらいいのでしょうか?専門を取るのかやりたいことを取るのか…どう思います?